自然に囲まれた甲斐の国。
そこは、どこか昔を思い起こさせた。
07:崩れ落ちる茜
勢いよく、水面から顔を出す。
は口をいっぱいに開けて空気と共に含まれる酸素を肺へ取り込んだ。
頭から水を被りびしょ濡れになった黒髪が一糸纏わぬ身体へまとわりつく。
青空の下、まだ日の高い時間の水浴び。
それはの密かな楽しみだった。
腕に残る細かな傷をは撫で上げる。
いつついたのか分からぬものもあればつい最近の真新しい傷まであり、微少といえど褥に忍び込む仕事をする身としては痕が残るのは喜ばしいことではない。
溜息を吐いて、は手で水をすくい顔へ叩きつけるように浴びせた。
水滴が額を流れ頬を伝い、首筋に沿って胸の上を滑り落ちる。
ふるふると顔を横に振ると張り付いていた雫が辺りへ散りの回りを煌めかせた。
手の甲で目を拭うその動作は酷く劣情的であるのに、それが淫らな印象を持たせないのはの独特な雰囲気故か。
足元で泳ぐ魚を見て、は自然と笑みを浮かべた。
今このときも、どこかで戦は交えられているというのに。
この国には微塵もそれを感じさせない穏やかな空気が流れている。
こんな日だったろうか。
あの男に―――猿飛佐助にあった日も。
四方を囲む森の木々が、今ほどは高くなかった。
それでも視覚を麻痺させるくらいの密度はあって。
初めてこの場所を見つけたときは自分の記憶力の良さに感謝した覚えがある。
まだ忍としてこなした仕事の数も少なく刻まれた傷も今ほどではない裸体を晒し、は水と戯れていた。
そこでふと、気付く。
―――見られている。
何処からかは分からないが、確実に、見られている。
敵意ではない明らかに好奇に近いような、けれども纏わりつくものではない妙な視線。
上手く気配を隠している所為かなかなかその持ち主を探せず、は首を振った。
相当の手練れだろうか、と思う。
「お、女が裸で水浴びかよ。役得役得♪」
「―――っ!」
小さく聞こえた飄々とした声に、は髪を揺らしてその方角へ目を向けた。
少しずつ後ずさりをしながら背後へ手をまわし、着物の間に隠してある暗器を手に取る。
(…誰ですか)
教わったばかりの長針を指の間で握り締め。
狙いを定めて、投げた。
「うおぉ!?」
木の幹に針の刺さる音が常人より敏感な耳に届く。
そして、さっきと同じ声色の男の声がし―――。
その男は、木の間から姿を現した。
「危ないな、いきなり長針投げないでくれる?」
「…誰ですか」
迷彩柄の服を着た茶髪の妙な男。
忍だろうかと、は長針を構えた。
「次は眼球を狙います」
の長針では決定打にならない。
もっぱら暗殺用として使われる暗器は忍んで使ってこそその殺傷力を最大限に活用するものだ。
その事を十分に理解している上で、はこの場を逃げのびるために―――この選択をした。
いつもとは似ても似つかない冷えた眼で、まるで抜き身の刃のような目つきで、男を睨む。
すると、途端男はヒュウと尻上がりの口笛を吹いた。
「うほっ、いーい格好だねぇv裸で啖呵切られたのは俺様も初めてだ、勇ましいこって」
はた、と気付く。
「―――っ」
次の瞬間、は羞恥と激昂に顔を赤くし慌てて身体に手を当て隠した。
「あ、気にせず水浴び続けて?」
「気にしますよっ!誰ですかあなた!?」
「いやいや本当気にしないで。つーか、むしろ気を使ってくれないほうが俺としては嬉しいんだよなぁ」
「誰が気を使いますか!」
「んー、だってバレちゃったし…どうせなら堂々と見ようかと」
「…っ」
駄目だ。頭が痛い。この男は何を言っても流してしまう。と言うより、話が通じていない。
微妙に噛み合っていない会話には眉をしかめた。
「真田のダンナが拾ってきたのってアンタだろ? 俺様は猿飛佐助。アンタは?」
「…忍隊の長の、猿飛佐助?」
は絶句する。
幸村から佐助のことは聞かされてはいたが。
『変わってはいるが悪い男ではない』
今なら、幸村の言っていたことが理解できる気がする。
―――つまり、良い男ではないと。
「そ。まぁ一応アンタの上司になんのかな。んで名前は?」
「…フウマ、」
「フウマ…?」
刹那、佐助の目つきが変わった。
「風魔忍者か!?」
佐助の疾風の動きが起こした風は、の頬を掠め。
気付けば直眼前に佐助の顔が有り首元には冷たい手裏剣が当てられ鋭く光を反射していた。
は、と自然に呼吸は浅くなり冷や汗が流れる。
「ダンナにも困ったもんだ、何でも拾ってきちまう」
軽口は変わりないが、その眼光は、比べ物にならないほど冷たく、残酷な焔が揺らめく。
「北条の手の者が甲斐に一体何の用?」
その声色は、暗に「返答次第では殺す」と言っていて。
「どおりで飲み込みが速い筈だぜ。ダンナに拾われたのいつだっけ?目的はダンナの命か?」
隠されぬ殺気に、ゾクリ、と嫌な汗が首筋を伝う。
「アンタ、本当に風魔忍か?」
「ちが、うっ!」
手裏剣がわずかに首筋から離れたとき、は思いっきり佐助を突き飛ばした。
力いっぱい押された所為で佐助はわずかにぐら付く。
「魔王の“魔”じゃなくて真の“真”です!幸村さんが言ったもん!
風魔のじゃなくて、風真として生きればいいって言ったもん!」
佐助は、はぁと溜息を吐き頭を手で押さえた。
「んのお方はまた大きな拾いモンしたもんだ」
そう言って佐助は手裏剣を下ろす。
もうを殺す気はないようで、先程の殺気が嘘のように静まっている。
「ま、俺としては真田のダンナと大将にさえ害がなけりゃいい訳だし。疑って悪かったな、仲良くしようぜ?」
手を差し出され、握手を求められる。
「…猿飛、さん」
「佐助でいい」
「…佐助」
「ん?」
「トモダチになろうよ、佐助」
「…トモダチ?」
「わ、私、トモダチっていたことなくて、」
「―――… ん、いいよ?トモダチヨロシク」
はおずおずと手を出したが、ふと佐助の視線に気付いた。
「…いーい眺め」
小さい呟きだったが何の事を言っているのかに気付き、は慌てて水しぶきを立てて水中へしゃがみ込んだ。
「危ねぇ!!」
耳元で響いた声に、ははっと意識を現へ引き寄せた。
背後から支えられバランスを取り戻す。
どうやら記憶に浸っている間に身体が傾いたようで、入水直前で後ろへ引っ張られたらしい。
胸の下に回された手は、しっかりとの身体をとられている。
「ったく、入水でもする気かアンタは」
呆れと怒りの入り混じった佐助の声色。
「あ、りがと…」
少し、心音が乱れているのが自分でも分かった。
後ろから抱き締められるように抱えられているので随分二人の身体は密着状態にあり。
佐助の服が、の肌に柔く擦れた。
「何か考え事でもしてた?」
「…何でも、ないよ」
「…ダンナに会う前の、自分のこととか?」
佐助の観察眼は鋭い。
は、時々佐助は読心術が使えるのではないかと疑ってしまう。
「どぉーでもいいんじゃないの?今更戻る気だってありゃしないなら。まあ、返す気もないけど?」
佐助はそう言うとの濡れた髪を一束持ち上げ唇で触れる。
「風真は甲斐にいればいいさ、真田忍隊の副長としてな。流石に俺様でも一人であのお二方の面倒みんのはキツイんだよなぁ」
それに、と続け。
「俺達トモダチだろ?」
「…うん、」
「俺としてはコイビトに格上げされてもいいんだけど」
「うん…え!?かすがは「さぁ?」
途端、を支えていた手が身体を這うようになり。
「さ、佐助…っ」
キッとは佐助を睨んだ。
「…その顔、すげぇそそる」
「は、はれんち…!」
「…最近ダンナに似てきてない?」
白い肢体をまさぐる手は、意識せずともの呼吸を浅くしていく。
首筋に顔を埋め、囁き、口付ける。
の“イイトコロ”を熟知している佐助はピンポイントでソコを攻め立て。
「なぁ、声出せよ」
耳元で息を吹きかけるように囁き下半身を押し付ける。
「や…っ」
「誰かおるのか?」
『噂をすれば影』とはよく言ったものか予期せぬ人物が予期せぬタイミングで現れ。
場が固まるとはこういうことを言うのだろう。
が、次の瞬間顔から湯気の出るほどに真っ赤になった幸村の、
「は…っ破廉恥であるぞ佐助ェ―――!!
「ダンナ落ち着いて―――!」
怒声と、それを宥める声が空に響き渡った。
最初に考えた佐助ネタ。
なのにこの後ドラマCD聴いたらショック受けたヨ…。
しかも書いた矢先に小太郎が公式でも出てきてダブルショックだヨ…
どうしよう小太郎さん喋らない人なんだね…。