キレイゴトだけを並べて、キレイゴトだけで嘘吐いて。
何かが終わり、何かが始まる音が鳴る。

15:染められる白


「―――こたろう?」

白い着物に身を包む幼き少女は、子供特有の柔らかな印象を持たせる手を伸ばした。
幼女とは対照的に黒衣を纏う男は、その手から逃れるようにスッと身をひく。
幼女の瞳が、不安げに揺れる。

冬の雪山に少女を一人きり置き去りにするという行為が何を示すかくらい、男にも理解はできた。
しかしこれもまた主の命令。
目の前の、自分によく懐いた妹のような少女の生死が自分に委ねられていることも分かってはいたし、心が痛まないでもなかったが、男―――風魔小太郎は、主と少女を天秤にかけるほど甘くも愚かでもなかった。

ガリガリと少女の周りに地へ円を描き、小太郎はしゃがむことなく少女と視線を合わせる。
この、妙に聞き分けの良い少女と目を合わせたのは、生涯で何回だろうかと、ぼんやり小太郎は考え。
顔半分を覆う黒眼鏡を通して見る少女の目は、まるで濁り気のない澄んだ黒曜石で、逸らすことを躊躇われた。

「―――迎えが来るまで、そこを動くな」

見納めのように、眼に入れても痛くない幼き女を見つめて告げる。
四方を囲まれ外部と遮断されたかに思える雪山。
通りかかる人間など皆無に思え。

迎えなど、来るはずもない。

それでも、全て解しているかのように、少女は微笑んだ。
感情の殺し方を覚えるのが、少女には早すぎたのだと、小太郎は刹那に後悔する。

「うん。まってる」

にぱっ、とでも効果音のつきそうな笑顔で。
無邪気な笑顔で。
男の名を呼ぶ。

「―――()

最後に呟く、綺麗な響きの名前。
去っていく男の背中を少女は見えなくなるまで追った。

視界が、真白い檻のような世界に変わるまで。



「―――っ」

ゆるやかな目覚めとは程遠い現実への覚醒に、いつものなら少々戸惑った事だろう。
しかし、今の彼女にそんな余裕はなかった。
呼吸に大きく動かす肩を押さえ、汗でピッタリと皮膚へ貼りついた衣を握り締める。

怖い夢だった。寂しい夢だった。悲しい夢だった。
内容は既に朧と化しているが、とても寂然とした夢だった。
記憶に残るのは、ただ白い世界。ただただ白いだけの世界。

「どうした?honey.」

ごろりと寝返りを打ち、視線を向けず伊達は鏡に声をかける。
の様子が尋常でない事は伊達も気付いている。
近づかなければ寝ているのか生きているのか分からないような息の殺し方をするが、常人より優れている聴覚を持つとはいえ伊達の寝床まで聞こえるほど呼吸を荒げているのに。
それでも、伊達はどこか軽く考えていた。
―――だから、返答のないに、いよいよ伊達はおかしいと思った。

「…?」

むくりと起き上がり、伊達はの顔を覗き込む。
そこにあったのは、見たことのなかった彼女の顔。
()を開いて大河のような涙を流し小刻みに震える、の姿。
「…おい、おい?」
伊達はの肩を掴みガクガクと揺らした。するとは今そこに伊達がいることに気づいたようで、重たい頭をかしげ視線を合わせる。
「ま、まさ、むねさ、ん、」
途切れ途切れに名を呟きは伊達の服の裾をすがるように掴んだ。
隻眼でそれを見、伊達はの後頭部へ右手をまわし引き寄せ己の胸元へすっぽりとを入れ込む。
あいている左手での背中を抱えを抱きしめる。
「怖い夢でも見たか?」
は、答えない。
「…まだ、怖いか?」
は、ふるふると首を横へ小さく振った。
窓の外は、白い雪がちらついている。



「―――お、雪であるぞ佐助!」
「…風邪ひかないようにね、ダンナ」

子供のように雪へはしゃぐ幸村に、佐助は半ば呆れたように言った。
溜息を吐いて佐助は横に座って俯くへ眼を向ける。
が雪を苦手とすることを、佐助は薄々感づいていた。
(…分かってんのかねぇ、あの人は)
一人雪だるまつくりに嬉々として興じる幸村へ対して佐助は思うが、きっと、その返答は否だ。

「…寒い?」

へ佐助は問いかけるが、返ってきたのはやはりというか、の困ったような笑顔だった。

「…怖い?」

再び問いかけると、の表情は固まる。
幸村がを拾ってきたのは冬の雪山だと、信玄から聞いてはいたが。
「…真っ白すぎて、」
「染まれないから?」
紡がれた言葉にが不意に顔を上げれば、にっと笑った佐助と目があった。

「…私、ここに居てもいいのかな?」
「悪けりゃそもそもダンナも拾ってこないでしょ」
「…雪は嫌い」
「言葉に出来るだけ進歩だと思えよ」
「…佐助」
「なに?」
「ありがとう」
「…どーいたしましてっと。ほら、寒いなら部屋に入っとけよ。ダンナじゃないんだから風邪ひくぜ?」
「…もう少し、ここに居る」



きっと、小太郎はを覚えていないに違いない。
―――が、彼を覚えていないように。



一歩ずつ歩いていければいいと火原は思うのです。