「政宗様」
まだ薄暗い群青色の朝を背に、片倉は遠慮がちに主へ声をかけた。
昨夜対峙した忍の細く淫猥な悲鳴が途絶えた頃を見計らって障子の前へ片倉は立っている。
「寝てる子を起こしてやるなよ」
暗に静かに入って来いと告げられ、そっと障子を開いて足音を立てることなく中へ入る。
さらに薄く隙間の開けられた襖を左右へ押し開ければ、布団に入ったまま煙管をふかす伊達の姿があった。
一枚のみを身に付けて、その腕には刺客として捕らえた忍を抱いて。
涙の伝った痕の残る忍の頬がちらりと見えて、片倉は頭を抱えたくなった。
「…それで、どうだったのです。…お味の方は」
「最高」
聞くまでもなかった。
腕の中で柔らかな寝顔を見せる小娘を嬉しそうに見る伊達の表情は、確かに心底楽しそうに見える。
だがその青水晶の瞳には満足の色は見られず、どちらかといえば、既に次の遊び方を画策している雰囲気がある。
「生娘じゃねぇが、殆どそれだな。初々しいったらねぇ」
その初々しい小娘を一晩中捕まえて、それも気を失うことが出来ない程度の加減をして攻めたて続ける精力と体力と技術には、まったく片倉も敵ながら同情してしまう。
「…では、処分の方は」
「………」
横目で片倉を見やると、伊達は途端につまらなさそうに口先を突き出して煙を吐き出した。
暖かな体が腕の中でもぞりと動く。柔らかな感触が伊達の肌へ伝わり、伊達はシニカルに唇をゆがめた。
「俺がもらう」
想像していた通りの返答に、片倉は確かに頭の痛みを感じる。
この自分勝手な我が主は、本当に命を狙われたという自覚があるのだろうか。
否、ない。断言してもいい。ない。
実際勝負の程は伊達の圧勝だったらしい様子から、もしかしたら伊達本人は狙われた回数にカウントしていないのかもしれない。
「結局、いづこの手の者だったので?」
「さぁて…。俺の睨みじゃ、武田のおっさん辺りだと思うんだがな」
「…甲斐が奥州まで手を伸ばす余裕がありましょうか?」
「どうにもこの女、刺客じゃあないみてぇだ」
色も満足に使えないらしいと言って、伊達は視線を腕の中へちらりと移す。
「さぁて、いつまでclearな目をしてられんだろぉな?」
艶やかな黒髪を撫で付けて、伊達はの米神へ唇を寄せる。
それが、半年前の話。
が縁側へ座り鯉を眺めているのを、片倉は遠目にじっと見ていた。
伊達の睨んだとおり甲斐よりの偵察であったことが判明したが、何故かは度々奥州へ来るようになる。
それには定期性なんてものはまるでなくて、気が向いたときだとか側を通りかかったときだとか、ふらりと気紛れに彼女はこの屋敷を訪れた。
まるで猫のようだ。
片倉がそう伊達に言ったところ、伊達はそれ以来稀に「lovely kitty」とを呼んでいる。無論にその意味は判っていない。
も慣れてきたのか、最近では「honey」も自分を指すのだと理解できてきたらしく呼ばれると穏やかに反応を返している。勿論その意味もは正しく判っていない。
伊達は随分とを気に入ったらしい。
確かに片倉にもその理由は納得できる。
整った顔立ちは少し幼さを感じさせ、純粋さで満たされた身体は胸も腰も豊かだが全体的に壊れそうなほど細身の印象を持たせて。
砂糖菓子のような笑顔で人と接する癖に、自分の信念は命と代えようとも曲げることはしない芯の強さを見せる。
何より透き通った黒の眼はまったく穢れの空気を纏わない。
己の主の好みそうな娘だ。いや、むしろストライクゾーンど真ん中。
だからこそ、片倉はが嫌いだった。嫌いというより、気に食わない、という方が正確かもしれない。
よって、がこの城を訪れることに対しても、いい顔はしていない。
奥州を束ねる伊達がの来訪を心待ちにしているのだから、片倉もきつくは責められないが。
「…アンタは、いつまでここに来るつもりだ」
気配を消しての背後へ立ち話かけたが、やはりというべきかこれでも忍というべきか、まったく驚いた様子もなくは振り向いて穏やかに微笑を向けた。
ぼうっとしているように見えてちゃっかりと気配は読んでいる。
片倉は、やはり油断ならない奴だと眉間へ皺を寄せた。
「俺はアンタを信用しちゃいねぇ」
だからもう来るなと、片倉は意味を込めて言い捨てる。
「俺がアンタを斬らねぇのは、政宗様がアンタに執着してるからだ」
一度、斬った方がいいと片倉は伊達へ進言したことがある。
あのときの伊達の沸々とした怒り様はまだ記憶へ鮮明に残っている。
「知ってます」
心臓の弱い者なら眼光だけで射殺せそうなほど尖った鋭い視線を浴びせられながら、口元に緩く笑みを浮かべては言う。
「それで良いんです」
鈴を転がしたような声だ。
「それで良い?」
心底不可解だ、という声色で片倉は返す。
「貴方は私が嫌いなんでしょう」
「そうだな。政宗様に止められてなけりゃ今すぐ斬り殺したいくらいだ」
「だから私は此処へ来られるんです」
「ああ?」
「私がもし政宗さんを殺しに来た時には、ちゃんと止めてくださるでしょう?」
「どういう意味だ?」
「政宗さんは強い人だから、私が首を取りに来たらきっと迷いなく私を斬り捨てるでしょうけど、」
「………」
「政宗さんに私を殺して欲しくはないんです」
「…何故だ」
「多分政宗さん、後悔はしないでしょうけど悲しみますよ」
「……ああ…」
「すみません。私は貴方の敵意を利用している」
「益々アンタが嫌いになったな」
「ありがとうございます」
そういうところも嫌いだと言いかけて、片倉は口を噤んだ。
ドスドスと荒っぽい足音をさせて近づいてくる青い気配は、間違いようがなく主のものだ。
「Hey!待たせたなhoney」
「政宗さんっ」
ぱぁ、と顔を輝かせては足音も立てずに伊達へ寄っていった。音を立てないのはの癖なのかもしれない。
「イイコにしてたか?」
「鯉がたくさん泳いでるのを見てました」
「Han?ってアンタ、随分手ェ冷えてんぜ。小十郎、茶ぁ淹れてこい!」
「はっ」
の手を取って伊達が部屋の中へ引っ張っていくのを見届けると、片倉は温かな茶と茶菓子を用意しにその場を去る。
うっすらと見える部屋の様子を離れた廊下から見つめて、片倉は胸がズキリと痛んだ。
理由の判らない痛みに苛立ちを覚え、片倉は整えられた前髪をぐしゃぐしゃと崩す。
気に入らないのは、あのまっさらな眼だ。
01:気に入らない理由
英雄外伝発売記念。
15題の小十郎とはあまり繋がりのない方向で。