「珍しく抵抗しませんね」
「抵抗してほしいですか?」
「…今からでは抵抗したとは言えないでしょう」
「そうでしょうね。どちらにしても、今むやみに動こうとは考えられません。今茶番を演じても意味はないですから――」
「茶番、ですか」
「何も感じることがないのですから、茶番と同じですよ」
「…貴方は、本当に何も思わず、何も感じないというのですか?」
「それがどうかしましたか」
「いえ、普段のさんを見ている限りではとても『何も思わない』ようには見えないので」
「相手によりますよ。今はなおのこと無意味な行動はしたくないんです。それと──」

一度区切り、静かに続ける。

「言葉としては正確ではありません。『思わない』のではなくて、『思えない』のですから」
「このような状況でもですか」
「事実としては」

ベッドに押し倒され、両手は頭の上で押さえ付けられた状態なので思うままには動けない。

それだけでなく、首筋の動脈にはメスが触れている。
「しいて訊くなら、何の意味があってこのようなことを?」
「…深い意味はないですよ。さんの紅い血を見たくなっただけです」
「悪趣味って言われてますよね」
「その断定は何ですか」

の心臓の鼓動がメスを通じて微かに伝わる。

「単なる確認に過ぎませんよ」
「今貴方の生命が誰にかかっているか、貴方はよく理解している筈ですよ」
「そんなこともわからないような馬鹿でないことは赤屍さんもよくご存知の筈です」

常に瞬間的に返ってくる言葉を聞く度、その鼓動が自らの手の震えなのではないかと思わせる。

「それにしては命知らずに立てつく言動や行動が多くはないですか?」
「それはこの先の展開が予測出来るからでしょうね」
「それは今貴方が此処で死ぬということですか?それとも――」

今ここでメスを深く押し当てたとしても、例えの身体を流れる血が全身を巡らなくなくなったとしても、その彫刻や人形のごとき完成された美しさは損なわれることはないだろう。
それどころか紅き血に飾られたその姿はこの世で最も美しい芸術作品となるかもしれない。
通常ならば、生有りしものの美しさは機能が停止した時点で損なわれでしまうというのにだ。
紅という色があれ程にも似合わなかった『彼女』とは対照的に、狂おしい程にふさわしい。

「この場を凌ぎ生き延びる、ということでしょうか」
「そんなものではありません。恐らく赤屍さんにとっては単純明解であることです」
「ほう…それはどういったことで?」
「あなたに、私は斬れません」
「!」

初めて、言葉が途切れた。
その間もの眼は何も語らない。先程から何ひとつ変わらぬ、意思を持たぬ人形の様に――。
ますますこの瞬間生かすも殺すも己のままの存在が、元々光を通したままで返すことのない硝子玉を持つ、血の通わぬヒトでないモノであったかの様に思えてしまう。
ヒトの欠陥品であり、人形の欠陥品でもあり、それでいて『彼女』の欠陥品でもあり――ただ唯一、の完成品である。何処までも、限りなくそれらに近いというに。
それでも、であるためにはそうでなければならないのだ。
それがこの先どのように変化していくのか――。
何処までが『彼』のチカラで、何処までがそれに踊らされているのか――。
興味が尽きるのは何時の事か。今の段階では誰にもわからない。

「…まさに、そのとおりですよ」

メスを戻し、そのまま手を顎に添えてから、親指でゆっくりと唇をなぞった。


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