「…嫌なのなら断れば良いじゃないですか」
無表情ながら呆れた様に呟くに北見はぐったりとした様子で呻いた。
「…コーヒーくれ」
「少々お待ちを」
部長席の横へ紙袋いっぱいに詰められたチョコレートの山から逃げるが如く視線をそらす北見にため息を吐き、特別に豆から挽いてコーヒーを入れてやる。
今日という日が北見は嫌いだ。どの程度かといえばプロ野球観戦よりも嫌いだ。早い話が、何よりも一番嫌いなのだ。
今年こそは誰からも受け取るまい―――そう当日の朝決意して、全敗の大敗。
優しいと言うよりも、根がお人よし。は北見についてそう認識している。
不機嫌そうな、それでいて困った様な眼でチョコレートの山を見やる北見にはコーヒーを渡し、再び小さく溜息を吐いた。
この様子ではやはり鞄の中に一つだけ別にとっておいてあるものを渡すことは難しそうだ。
せめてもの気持ちとしていつもよりうんと値の張るコーヒーを入れてやったのだけれど、何とも苦いバレンタインである。
(……まあいいか)
仕方がない。余ったこのチョコレートは四宮蓮にでもあげよう。
はそう心の中で決めて、机の上を陣取っていた白い紙袋を抱えた。
その中には同じ包装を施されたチョコレートがいくつも入っていて、実は密かに朝から北見を悩ませていた物の一つでもある。
「…チョコレート、配ってきます」
淡々とから紡がれる言葉には微塵も甘さは含まれておらず、実に業務用の温度を孕んでいた。
「よく、毎年毎年買ってこれるな」
「この時期の出費は大きいんですけどね」
貴方にとってはあまり良い日ではないでしょう?
そう問うの声は極めて冷静さを保っていた。
「1年の中では一番嫌いな日だ」
「…かといって、全身黒の完全防備もどうかと思いますが。葬式ですか、貴方は」
「………」
「鏡見ますか?刺されかねないほどの仏頂面ですよ」
そして同時に二人は深い歎息を吐く。
「そんなに嫌いですか、たかだかチョコレートが」
「こんなにもらったところでどうしろと言うんだ…」
「食べればいいでしょうに」
「食えるか、お前なら」
「無理ですね。非常食くらいにはなりますが」
「それに、自分が情けなくて嫌になる」
「……?」
「好きな女に『欲しい』の一つも言えん」
夏目は目を丸くしてすぐに返事を返せなかった。
三十路を過ぎて尚独身だと聞いていたから、そっちの方面には疎いと思っていたのだが。
この眉目秀麗な男をこれほどまでに悩ませる女がいるのか。
そんな女性がいるのならは一度会ってみたいと思った。
「…恋人がいらっしゃったんですか」
「いや……」
「似合わない組み合わせですね、北見先生と色恋なんて…相手はどんな方なんです?」
「………お前もよく知ってる子だぞ」
「………有希ちゃん?」
紡ぎだされた名前に北見は大いに体制を崩し危うく椅子から転げ落ちかけた。
「どうしてそうなる!?」
「冗談です、2割は」
「8割も本気だったのか…?」
「………」
「おい、黙るな」
は今日何度目かの溜め息を吐いて紙袋を抱えなおす。
「…まあ、私もあまり好きではないです。バレンタインは」
「そうなのか?」
「そう見えませんか」
「…興味がないのだと思っていたが」
「あまり興味はありませんが…殆ど北見先生と同じ理由ですよ」
北見へ背を向けては北見の机に少しだけ体重を預けた。
やはり余る運命にあったチョコレートは蓮へあげることにしようと思いながら。
「少し嫌になります。一番大切な人へ渡す勇気がないもので」
その言葉に今度は北見が眼を丸くする。
「いるのか?好きな男が」
「…そう見えませんか?」
「興味がないのかと」
「先生は私を何だと思っているんです。…チョコ配り行ってきます」
「ああ」

閉じられた医局のドアが妙に重く厚かった気がした。


無色/ビター

バレンタインといえば北見。北見といえばバレンタイン。
究極のすれ違い…くっつけるのか、この二人。
御題を予定していたネタから変更しました。