「」
受話器を軽く耳にあて、短く自分の姓を告げる。
あからさまに不機嫌なドスの利いた男の声は一聴するとその筋の人間のようで、電話の向こう側へ居る人間をドキリとさせた。
『も、もしもし、三井スけど、…さん、いますか』
ヒクリ、と眉を動かして。
「一昨日かけ直せ」
勢いよく切った。
ガッ!と激しく切られた電話に呆然とし、三井は虚しい音を出し続ける受話器をひとまず置いた。
混乱する頭で現在の状況を整理する。
まず、電話に出たあの怖ろしく声の低い男は父親だろうか。
正直切られる以前に彼女の父が電話にでた時点で三井は既に混乱の沼へ片足突っ込んでいたのだが、それは突然の常識外れた行動によるものと都合よく忘れることにした。
時計を見て今がまだ夜の9時前であることを確認する。
彼女の父は元々10時11時過ぎて仕事から帰宅するのが当たり前だと聞いていて、尚且つ今日が週末であるなら尚更遅くなるだろうと、つまり電話をかけた先には本人かもしくは居たとして家族のような付き合いをしている流川くらいだとわりと計画を立てて三井は電話したはずなのだ。
しかし結果として向こうの受話器をとったのは彼女の父で、名前を告げた途端―――敵意を向けられ暴言と共に回線を切られた。
頭が冷静さを取り戻すと今度は怒りが沸々と沸いてくる。一体自分が何をした(の顔へ傷を付けたものの彼女の性格からして上手く歪曲して伝えているだろう)。
そして三井は再びダイヤルへ指をかけた。
「電話誰だった?」
「…勧誘だ」
尊大な態度で椅子に腰かける男の前へ良い色に上がった天ぷらが運ばれる。
ご飯と味噌汁を食卓に揃え向かい合わせで合掌する娘の姿に顰めっ面ながら男は幸せを感じる。
このためだけに仕事を早めに済ませて帰ってきたのだ。
無言で汁碗を差し出せば柔らかな笑顔を浮かべたが察し再び碗を味噌汁で満たすべく席を立つ。
その時、男の幸せな時間を妨害ことが目的かのように電話の音が響いた。
『』
地獄の業火から生まれたかの様な底知れぬ畏怖を与える低い声に判っていても三井は一瞬怯んでしまう。
だが気合いを入れ直すと出来る限り落ち着いて、
「もしもし、三井ですけど」
間髪入れず切られた。
三井は本気で落ち込んだ。
「また勧誘?」
「ああ」
先程の電話などなかったかのような父にも深くは触れず食事を再開することにした。
そういうふうなの態度に男は出来た娘だと関心する。
別れた妻のことは彼なりに本気で愛していたが、娘に対する愛情はそれ以上かもしれない。
「父さん今日機嫌良いね、なにかあった?」
の言葉に、男は本当に2本の電話の存在を忘れ―――口元だけで微笑した。
「寿、電話ー!」
「あー?」
「さんて女の子から」
三井はテレビを見ながら飲んでいたお茶を盛大に吹き出し、慌てて受話器を母の手からひったくった。
「彼女か?彼女か?」
「うるせー!」
にやにやと気持ちの悪い笑顔で話し掛けてくる父を赤い顔で一蹴して声を潜める。
「も、もしもし…」
『もしもし、ひー君?』
「おう」
『今大丈夫?』
「まあ…」
ついでにの話が終わったら文句の一つでも言ってやろうと三井はの言葉を待った。
『ひー君、日曜暇?観たい映画あるんだけど一緒に行かない?』
「日曜なぁ…どーすっかなー」
口先ではそう言うが三井はにやけが隠せない。
これまで二人とも受験や卒業試験で忙しかったので二人で出掛けたということはなかった。
つまり初デートである。
『あ、駄目そうなら無理しなくても…』
「行くっつってんだろ!」
『いや言ってないよ』
受話器から小さく笑い声が聞こえた気がして三井は眉間に皺を寄せた。なんとなく恥ずかしい。
何言か言葉を交わすうちに言いたかったはずの文句も忘れた。
『じゃあまた、おやすみ』
「あ、待て」
『ん?』
「あのよ…お、おま」
ちゃこん
「……」
電話の、本来受話器を置くべき場所にある突起を押したのは、骨骨としているが長い端正な肉付きの男の指。
「手が滑った」
三井は虚しい音を流し続ける受話器を片手に、先程までの怒りを思い出した。
固定電話の罠
家の父は乱暴で厳格で我儘で理不尽。44歳くらい。
時間軸的には大学入試が終わってしばらく後かもしれない。
寿という名前が弄り難いんだが侮りがたし三井寿…(ごくり)(固唾飲)。