不本意ながら通り抜けるグリフィンドール搭下の道で聴く最上階から流れる音がある。
セブルスはよくその『音』を知っていた。
Dark red −彼岸花―
Part1.05 音
授業の合間をぬって図書館へ足を運ぶ。
奥から3台目の机を前にして椅子へ腰掛け下の学年の教科書を読む。
転入して一月、それがの日課だった。
生まれてこの方学校という物へ通ったことのなかったには扱う呪文の程度が分からない。
過去の教科書を紐解いてみればやはりの知識には斑があった。
他生徒と比較して3年間分の遅れを彼女は、たった一人で取り戻しつつある。
怖ろしいほどの努力の生成物―――。
の最も褒められるべきところは才能でも容姿でも、まして血の純粋さなどでもなく。
あえて才能と表すならば―――努力のできる才能、一点だけだ。
生まれ持った才能など、人間は皆大抵皆無なのだから。
は羊皮紙を広げすらすらと流麗な文字を刻む。
机の下で組んでいた足を組みなおすと、こつんと右足の先に硬いものがぶつかった。
緩やかな曲線と柔らかな直線で模られた木製の鞄。
その中にはの魂が収められている。
彼女が唯一家の財力を持ってしてまで欲した魂。
18世紀初頭にアントニオ・ストラディバリの手がけたバイオリンの最高峰。
一目見て「欲しい」と思った。
写真や映像では理解できない実物にのみ宿るその魅力が。まるで魂を吸い込むように。
それは激しい恋情だった。
ふと羊皮紙に影が出来ては開いていた教科書を取り上げられる。
上をみやると、そこには奪った教科書を見て眉を顰めた少年が立っていた。
■ ■ ■
セブルスは相も変わらぬ眉間に皺を寄せた仏頂面で大木の下へ腰掛ける。
随分寒くなってきたが日さえ出れば外も暖かいものである。
はバイオリンと鞄を片腕に抱いて空を仰いだ。全体的に薄く雲が覆っている。薄暗い。雨は降らないだろうけれども。
グリフィンドールの美少年とスリザリンの嫌われ者という組み合わせは端から見ればどんなに奇異なことだろう。
「今更何しに来た」
ぶっきらぼうな物言いは悪意ではないことをは知っている。
「仕事だよ」
「何のだ」
「それは言えない」
ぎらりと睨むセブルスの視線を受けて彼女は苦笑したくなった。
これは―――拗ねているのだ。
おそらく対象となっているのは、何も聞かされていない何も教えてもらえないという事実と、同じ寮には組み分けされなかった事実と。その両方。
随分分かりやすい(にとってはだが)態度に微笑ましくまでなる。
「勘違いするな。お前だけじゃないイリスにも言ってない」
共通の友人の名を出すとセブルスが気持ち半歩後ずさるのが察せられた。
「あれにも手紙くらい返してやったらどうだ」
「冗談じゃない!」
「冗談は言わない」
怖ろしく嫌そうな表情と勢いで喰らいついてきたセブルスへ、今度こそは苦笑した。
2、3日に一通しかも大した用もないのに手紙を送りつけられては確かに返したくなくなる気持ちも判らないでもない。
最初の頃―――セブルスがホグワーツに入学した頃は彼もまめに返していたらしい。生来の几帳面な性質からかもしれぬ。
しかし返事を返す前に、次がまた送られてしまうのだ。返事の追いつかぬ手紙は溜まる一方になり、終いには返すことが億劫な量にまでなった。
その上イリスという少年はあまりに放っておかれたあまり、セブルスに吼えメールを送ろうとまでしたのだ。
それにはもセブルスを哀れと思ったのかイリスを止めたのだが、―――一度や二度ではないのだ。そんな経験は。
「吼えメールを送られても知らないよ私は」
「お前が止めろ!」
「今度からは私もこちらに居るのだから実力行使は無理だろ。説得なんて馬の耳に念仏だし」
「馬でも聴こえる」
「イリスの耳は馬以下だ。ちくわだ、ちくわ」
「は?」
「右から左に抜けていく」
「…上手いことを言ったつもりかァ!」
「私に怒るな。事実を言ったに過ぎない」
勘弁してくれとうなだれるセブルスとは対照的には諦めてしまっているのか実に淡白な態度をとった。
たとえその耳が機能していたとしても通常の理屈では通らない男だから、きっとどちらにしろ言葉など無意味なのだろう。
ならばアレはアレだから、と割り切ってしまった方がいくらか楽なのかもしれない。
イリス・クウォーツとはそういう少年なのだと。
心なしか痛む頭を押さえてセブルスはの特徴的な鞄に目を向ける。
知り合ったばかりの頃には彼女の傍に存在する事のなかったそれ―――。
「相変わらず弾いてるんだな」
「うん?」
「それだ」
セブルスはバイオリンを指差した。
毎日同じ時間に外まで聴こえてくる音色―――は、最後に聴いたそれと寸分狂わず変わらない。
「―――弾いてくれ」
「曲目は?」
「任せる」
「…一番面倒な回答だな」
は緩やかな動きでバイオリンを肩へ乗せると細い指で弦をつがえる。
「では1曲」
顎を楽器へ軽く乗せたはそれだけで絵になる様に感じられた。
弦と弦が擦れ合う。
重厚な音色が響き渡る。
休む事なく腕が、指が動いて。
―――何処からがヒトで何処からが楽器なのか判らなくなる―――ようだ。
一体化している。まるで、否―――
自身が音を奏でている楽器なのだ。
この曲にセブルスは聴き覚えがある。
昔イリスがへせがんだ曲だ。
そして、が初めて最初から最後まで弾き通した曲。
ジュゼッペ・タルティーニ作曲『悪魔のトリル』―――。
夢の中で悪魔がバイオリンを弾くのを聞き耳に残った音楽を譜面にしたと云われる、最も難しく最も美しい曲―――。
の一番好きな曲。
セブルスはをじっと見つめる。
眼で、耳で、を感じて。
『この中には悪魔の魂が眠っているんだ―――』
脳裏にアルトの声が甦る。
視ていたら、聴いていたら、バイオリンに。
吸い込まれる様で、吸われる、吸い込まれて。
世界から以外の音が消えた。
甘く哀しく冷ややかな、しっとりと濡れたパーソナルトーン。
人形程に麗しい貌。
初めて、の旋律を聴いた時から、それだけが彼女の、そしてセブルスの世界の“音色”となった。
セブルスは聴覚で視ながら視覚で聴きながら意識なく思う。
自分が所有できたらどんなに良いだろう。
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幼馴染って素晴らしい。
(2007.2.11)
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