「え?」
「何!?先生が!?」
あっさりと大差をつけて武里を破った後だったけれども、陵南の実力を見せ付けられて練習意欲が湧かないはずがなくて。
そうして学校の体育館に戻ってきたものの、桜木君から安西先生が倒れたなんて言葉が飛び出たことには吃驚した。
「とゆーわけで明日はオヤジ抜きだ!気合い入れろよおめーら!!」
「先生……」
「三井さん、そんな顔しなくても別に死んだわけじゃないんだから」
何だか物凄く悼ましく悔しそうな表情をした三井さんに私は思わずツッコんでしまう。
「………」
「3年生の引退試合にゃまだ早いもんな」
楓とリョータにもそれぞれ思うところがあるらしい。
次に負けたらもう夏は終わりなんだ。
判ってはいてもその事実は私の胸に重くのしかかる。
そりゃあ負けるつもりはないし皆のことを信じてはいるけれど、問題は果たして安西先生の指示なしで策が立てられるかどうかだ。
「俺は夏終わっても引退しねーぜ。選抜もでる!」
「えっそーなの!?」
「なんだ!?イヤなのかてめえ!!ああ!?」
「イヤ別に…」
リョータの胸ぐらを掴んで全力でくってかかる三井さんだが、正直言ってイヤに決まってる。
戦力が増えるのは喜ばしいことかもしれないけど、リョータから見れば三井さんは『目の上のたんこぶ』なんだから。
「ようし…さっきの続きがあと172本!特訓あるのみ!」
シャツを脱いでボールを抱える桜木君はすっかりバスケットマンの顔で。
うちの男連中はどうしてこう揃いも揃って男らしいんだ。
ニッと笑って親指を突き立てて自分を指す三井さんの恰好良さには大分私も免疫がついてきたらしい。
「よし、俺がディフェンスになってやるよ桜木」
「オレがパス出ししてやる」
「じゃあ私が記録付けてあげるよ」
「俺が横から口出ししてやる」
楓の余計な一言にまた楓と桜木君のバトルが勃発したが、結局桜木君のノルマが終わるまで4人で付き合って(本当に楓は口出ししかしなかったけどそれが結構適切なアドバイスだったと言うことに桜木君は気付いているんだろうか)、その後私は三井さんに鍵を頼んで楓と体育館を後にした。
だからその先のことを私は知らない。
10:欲望のシャウティング
スタスタスタ。
ズンズンズン。
三井の歩いた道を後ろから宮城と桜木が少し距離をあけてついていく。
「…っ何だよ、ついてくんなお前ら!」
「うるせー誰がミッチーなんかについていくか」
「方向が同じなだけっすよ」
三井は舌打ちをして前へと向き直り再び足を進めるが後ろの二人が一向に自分と道を外れる気配がなく次第に苛々のゲージが上がっていくのが判った。
よし、どんな用事が自分にあるのかは知らないがとにかく無視しよう、三井がそう決めた途端。
「あっさん」
「何っ!?」
突如桜木の口から発せられた名前に三井は殆ど反射的に桜木と宮城が揃って顔を動かした方向を見る。
しかしそこにの姿はなく、あるのはこの時間に似つかわしいくたびれた風のサラリーマンや学校帰りの学生達だけで。
「ちがった」
「……!!」
桜木の言葉に三井は自分がはめられたのだと悟った。
実はこの方法は以前宮城が桜木にやられたものとまったく同じである。
三井がそれを知ることはないが。
「ははー、さては三井サン…」
「さんに恋してるな?」
「ば…っ」
ニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべ、桜木に至っては指まで指して言う二人に三井はぎくりと顔をこわばらせるが耳まで赤く染めた顔を隠すことはできなかった。
「バカヤロウ!何を根拠に…」
「じゃあその赤い顔はなんだ」
「かわいーとこあるじゃないっすか三井サン」
「どーりでさんだけ態度が違うわけだなぁーあ?」
「そういや休憩中も何かと傍にいること多いっすよね」
「いい加減にしろお前ら!誰がかわいーだ殺すぞ宮城!」
家へ家へと足を進めながらもはやしたてる二人に怒鳴りながらも三井は桜木の言う様に自分の顔が情けないくらい赤面していることを自覚している。
どうしてあんな見えすいた嘘に引っかかってしまったのか。単純な自分が三井は恨めしい。
「ひっひっひっ、そーかさんか。うんうん」
「でもサンはカッコイーからなー」
「フラれるかもよ」
桜木の言葉にピクッと反応して思わず足を止めてしまった三井の固く握った拳は震えていた。
フラれるかもしれない。
勿論そんなことを考えるときもあるけれど、まだ『告白しよう』とも思っていないうちから、それも他人に何故失恋の危惧をされなければならないのか。
しかも生意気な後輩に。
三井の限界は早かった。
「うるせえっ!!」
ガンゴンと拳で頭を殴る音が二つ日の暮れた空に響く。
「気が付いたら目が追ってたんだよ…」
公園のブランコへ腰掛け何故か話をする流れになり三井は言われるがままに語っていた。
ブランコが揺れる度にギッと錆びた金属が呻きを上げる。
電柱で照らした灯りが妙に寂れて感じられて、電柱に群がる羽虫が己と被せて見える。
「あいつは俺みたいな馬鹿まで世話焼いてくれて、いつだって平気な顔して笑ってんだ」
三井が授業中に寝てしまった時には必ずノートをとっていてくれて。
提出しなければならない宿題が出された時は、三井がやり終えるまで教えてくれて。
にもやりたいことややらなくてはならないことがあるというのにそれらを後回しにしていて。
『お疲れ様。』
少しだけ呆れた様に眉を下げて綺麗な微笑を三井へ向けるの左頬には一筋の傷が風に揺れる髪から見え隠れしている。
三井がつけた傷。
に「許さないから」と言われた傷も。
どうしようもなく愛しいのだと言ったら笑われるだろうか。
宮城と桜木は三井の真剣な気持ちを一喜一憂しながら耳を傾けた。
「あいつは俺の、…俺にとっての光なんだよ」
光に、
群がる、
羽虫は、
俺だ。
「フラれるとかフラれねぇとか、どーでもいい」
「「!!」」
三井の言葉に宮城と桜木は驚いて三井を刮目する。
恋する男子高校生にとってその言葉は思いの他重い。
「…っつったら嘘になるけど」
続いた言葉に二人はホッと胸を撫で下ろす。
良かった、ほぼ自分達と同レベルの先輩が物凄くできた人間ではなくて。
「とにかくあいつに笑ってて欲しいんだ」
三井はまだという人間について殆ど知らない。
の誕生日も、血液型も、好きな食べ物も趣味も特技も灰色の瞳の理由も。
何も知らない。
だが確実に判るのはバスケが好きだということと、湘北バスケ部が全国制覇をすれば喜ぶということだ。
「だから俺は俺に出来ることをするって決めた。俺は一回あいつの夢壊しちまったからな、今度こそ叶えてやるって誓った。あいつの前ではどんなにへばっても根性みせてやるって思った。」
宮城と桜木は黙って三井の話を聞いている。
三井の思いは痛い程判ってしまった。
自分達も近い気持ちを抱いているからこそ。
「あいつが隣でちゃんと笑えるヤツがいるなら、…それは俺じゃなくてもいい」
自嘲気味に三井は言うと深く溜め息を吐いた。
「あーあー、お前らなんかにつまんねぇ話しちまったな」
三井はブランコから立ち上がりぐっと伸びをするとズボンの尻についた砂を払う。
肩へエナメルの鞄を掛けると一向に帰る様子のない宮城らに三井も不審の目を向けると、二人とも肩を震わせ目から涙を流して三井を見つめていた。
「ミッチィィィ!!」
「三井サン、アンタも相っ当苦労してんだなー!!」
「うお!?痛てッ、痛ぇよバカヤロウ!」
いきなり立ち上がり三井をバシバシと叩く宮城と桜木に三井はぎょっとして桜木を殴る。
「俺達は同士だ、仲間だミッチー!」
「はあ?意味判んねぇよイキナリ」
「フラれモノ同士飲みに行きましょ三井サン!」
「俺はまだフラれてねぇ!お前らと一緒にするな!」
半ば引きづられる様に公園を後にした三井と、宮城と桜木、3人分の影が繋がっていたはずだが、あいにく虫の群がる街灯程度でははっきり映すことはない。
そして全国へのキップがかかった明日の陵南戦に思いをはせる。
本当は。
振り向いて欲しい。
自分にだけ笑顔を向けて欲しい。
細く柔らかい身体で抱き締めて口付けて欲しい。
だけどそれを嘘でも口に出来ないのは三井が臆病な所為に他ならない。
理想と本音の僅かなズレにも似た亀裂は三井の中で軋む、音にならない叫びだ。
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フラれ三人同盟。