「どーも先生が見てないと…」
やめてよ縁起でもない
安西先生が不在だからといってベンチに写真を飾る三井さんに私は内心冷や汗をかいた。
まるで遺影の様じゃないか。安西先生はまだ生きてるっていうか当分死ぬ予定はないって。
「今日は先生抜きだ。死にもの狂いでいくぞ……」
スタメンはいつものメンバー。
ディフェンスも普段通りマンツーマン。
別に陵南が相手だろうと湘北がプレイスタイルを変えることはない。
選手紹介で楓が呼ばれた途端に起こった黄色い歓声に私は耳を塞ぎたくなった。
今日の楓の気合いの入りようは半端じゃない。
なにせ仙道君は楓が初めて敗北を味わわされた相手なのだ。
相変わらずプライドの高い奴だ。
『14番 三井寿』
アナウンスが三井さんの名前を呼ぶと、今度は野太い声援が上がる。
しかしあの『炎の男』応援旗はどうにかならないのか。端から見ればゲイ集団のように見えないこともない。
「やめろ気持ちワリーな!!」
三井さんが観客席に向かって怒鳴るが、これも殆ど毎回の事なので慣れてきた。
「三井さん!」
私は声を掛けると振り返る三井さんに向けて両手を上げて。
「全国だよ!」
1年の頃からずっと描き続けた夢を、このまま夢で終らせたくない。
私は試合には出られない。
このベンチから応援することしか出来ない。
だから。
「任せろ!」
パンッと軽い音を立てて叩き合わされた両手。
一緒に戦いたい気持ちだけは、試合に連れていって。
「先生……」
だからまだ生きてるって
呟いて遺影写真の前で合掌する三井さんはとりあえず頭を叩いておいた。

11:悔恨のハギング 1


赤木の様子がおかしいことに気付いたのは三井だけではない。
もまた、いつもより散漫な動きの赤木に違和感を感じていた。
「おいおい!」
三井が声を上げるのが聞こえる。
普段の赤木なら考えられないパスミスで赤木の不調を陵南の田岡監督が気付かぬ筈がないのだから、陵南は赤木のところを攻めてくるに違いない。
「魚住さんマークー!狙ってるよ!!」
腹から声を搾り出すようには叫ぶ。
「木暮!これ入ったらタイムアウトだ。赤木の奴ちょっとおかしい」
「えっ」
「やっぱり!魚住さんに倒された時から?」
「多分な」
試合に出ているから気付く違和感。
3年間側で見てきたから気付く違和感。
少しの違いはあれどそこには確かに絆がある。
「チャージドタイムアウト湘北!」
ブザーで試合に出ている面々がベンチを振り返り、木暮の「タイムだ」という言葉にばらばらとベンチへ戻ってきた。
既に大量の汗をかいているメンバーへタオルを渡しながら、やはり並大抵の運動量じゃないんだなとは思う。
「2回しかないタイムアウトをこんなとこでとるな木暮!」
「何言ってやがる、はっきり言って今のタイムアウトは絶妙のタイミングだぜ。安西先生がいたらやっぱりとってたはずだ」
「何?」
「はいはい二人とも喧嘩しない!」
このままでは言い合いに発展しかねない赤木と三井をが宥めるがその側では別の3人が言いたいことを言いたいように言っていて。

苛、と。

「彩子ちゃん、用意」
「どうぞ先輩」
右手を出したへ素早く彩子が手渡したのはまた大きなハリセンで、は5人の頭に勢いよく両手でそれを振り下ろした。
これが彩子なら判るがいつもは温和なの行動に木暮と赤木と彩子以外の人間は目を点にする。
その衝撃は三井が体育館を襲撃した際に繰り出された華麗な回し蹴りを見た時の感覚によく似ている。
「…安西先生はここに居ます。」
ビシッと写真の辺りを指差すに部員は呆然とした。
「先生の前で喧嘩をしない!」
「……あの……やっぱり写真じゃ……」
胸を張って言うに安田が水をさすが。
「心の目で見たらこの辺にいるよ!」
この人案外無茶苦茶だ とバスケ部統一見解が成立した。
途端、赤木は両手で己の顔を張る。
「ぬ?」
「!?」
桜木と三井から おいおいどーしたよ という視線を浴びながら2度、3度と頬を張る。
雑念を追い払うように。
しかしそんな赤木を桜木の頭突きが襲った。

「三井さん、赤木さんどう!?」
「いや……どーもふっきれたよーだぜ…!!」
「そっか、じゃ…三井さんも頑張って!!」
拳を握るに三井は不敵に笑いかけコートへ入り、赤木へこっそり耳打ちする。
「もだんだん彩子に似てきたな」
「それは違う」
「あ?」
間伐入れず否定する赤木の科白は三井の想像を越えていた。
「彩子がに似たんだ」


隣で震える手から心音まで聞こえてきそうな木暮の緊張がにも伝わる。
この試合に負けたら夏は終わり。3年間の努力も葛藤も何もかもがなかったこと同然になる。
「…大丈夫」
緩やかな声で言うの顔にはやはり緩やかな微笑が浮かんでいた。
「焦らないで信じよう」
「…」
「大丈夫だよ、赤木さんだし」
と木暮の根底にある『赤木なら大丈夫』という信頼。
それは1年の最初から最後の夏まで辞めずにバスケを続けてきた3人だからこその特殊な信頼関係であり、彩子はどこか疎外感を覚えることが度々あった。
赤木と木暮とは同じ色の雰囲気がある。時折、三井も近い色をしている。
(やっぱり、1年の差ってでかいわ)
自分達もやがては同じ色になれるのだろうか。
「さすが!」
「それでこそ赤木だっ!」
完全に足の怪我を頭から消してパワー勝負で魚住へつっこんでいく赤木に拳を握る木暮とを横目に、ある種の不安と期待を抱えながら彩子は倒れた安西の写真を立て直した。
「タイムアウト!」
ブザーと共に響く審判の声が陵南のタイムアウトを告げる。
「三井…」
「おう」
「越野はチョロいか?」
「あ?」
「越野のディフェンスだ。お前に対する」
「………ああ、チョロいね」
口角を上げて余裕の笑みを浮かべる三井には内心ドキリとする。
三井は試合中は恰好良い。いや、三井だけでなく他の部員も同様に逞しくなる。それは十分判っているのだが。
(今のは完全に不意打ちだ…)
あの、絶対的な自信に満ち溢れた強い眼の大胆にして不敵な笑顔。
は三井のその表情(カオ)に弱い。
左頬の傷を手の甲で一度擦り得点表で再度現状確認をしたところでタイムアウトが終了された。


点差が18対30まで開いたところで負傷した桜木を急いでベンチへ促しタオルを手渡す。
「前半1ケタだ!なんとしても1ケタの点差で前半終わるぞ!」
会場中から陵南コールの響き渡る中で赤木の怒鳴りに近い大声が耳をかすった。
「木暮君交代で入って!」
「ああ!!」
桜木の額をタオルで押さえながらもやっと聞こえる程度の声で指示する。
人員の振り分けはいつもなら安西との二人で行なっているため人員調整の定石を部で一番理解しているのはだった。
「木暮は越野につけ!三井は福田を頼む!」
「おう任せろ!あんなもんどってことねぇ!」
「三井さんパス回すよ。狙ってよ」
「バシバシこい!!」
まだ流血の止まらぬ桜木の額を押さえながらも三井の声だけはクリアに聞こえる。
もはや病気だ。
「このままズルズルはなされてたまっかよ!冗談じゃねぇ!!」
「IHの切符を先生に持ってかえろうぜ!」
桜木の治療をしながらは桜木の腕が震えていることに気付く。
悔しいのだろう。これまでにないほどの屈辱を感じているのだろう。
1階入口を見ると晴子が立っていて、こちらへ駆けよってきたがは手と目でそれを止めた。
きっと今は、誰の言葉もかけられたくないはずだ。それが好意を持っている相手なら尚更。
パシィッとボールがゴールへ吸い込まれる音がして、はきっと三井のスリーポイントが入ったんだろうと思う。
試合が見えなくても、何となく三井のシュートは判る。いつ頃からかは忘れたけれど。
ブザー寸前にまたシュートの音。の計算と記憶があっているなら26対32になったはずだ。
前半が終わると桜木の流血も止まっていたが、腕の震えは控え室に入るまでずっと続いていた。

「よしよしよし!いける!6点差ならひっくり返せるぞ!いける!いけるぜ!!」
控え室に響く三井の声は湘北のムードを引き戻す。
元エースだけあって部員の雰囲気を盛り上げるのも上手い。
三井のカリスマ性は天性のもので、流川にはない三井の武器だ。
「やっぱり凄いわ、三井先輩は…ムードを引き戻した」
「こないだまでブッ潰すとか言ってたのにね。リョータ!ファウル3つだよ気をつけて」
「はい」
「桜木君も3つ」
「、桜木の傷はどうなんだ?」
「もう血は止まってるから多分大丈夫」
試合データを彩子へ手渡しながら思い出したようには声を上げた。
「そ言えば三井さんまだファウル1つだね」
「あ?まあ越野だしな」
「でも珍しい。ファウルはさっきの福田君相手の時だよね、予想外だった?」
「まあな。…お前桜木押さえてたんだろ?よく知ってたな」
目を丸くする三井には目を細めて笑いかける。
「見てなくても判るよ。三井さんなら」
三井の顔がしらじらと染まっていくのが(本人に言えば怒鳴られるかもしれないが)可愛く思えて、は声を押し殺して笑った。
「お前、後半はちゃんと見てろよ!」
「前半もちゃんと見てたんだけどな」
苦笑して三井からタオルを受け取るとは下から三井の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑う。
「知ってるよ。バスケしてる三井さんが凄く恰好良いこと」
「だよな、だよな!!」
「……うん、自信を持ってるのはいいことだよね…でもどうせならさ、」
「……なんだよ」

「『惚れさせてやる』くらい言ってよ」


後半になると前半に沈黙していた流川が仙道相手に奮起し、は呆れた様に溜め息を吐いた。
シャーペンの後ろで顎を叩きながら得点表にシュートを書き込む。
「1本!1本きっちり!」
陵南のミスで得たボールでゴールを決めれば後半の流れは一気に湘北へ傾く。
そのチャンスに三井へボールが渡るがディフェンスに池上が張り付いてシュートにいくのが苦しい。
ディフェンスに定評のある池上を三井につけているということは、三井のスリーポイントを封じにきているということだ。
「おいお前!そんなにハリきって最後までもつといいけどな!」
見ていろと言われたからではないがは三井を目で追う。追ってしまう。
池上を挑発するその表情も一々恰好良くて、目を離したくても離せない。
どこまでもバスケに関しては真剣な男だ。
三井からパスをもらった流川が仙道からバスケットカウントを得てゴールし1ゴール差まで追いつく。
だが。
おそらく仙道が流川を押したのはシュートにいく前だ。
(ラッキー!審判バスケットカウントありがとう!!)
はこっそりと拳を握った。
しかしその後ボールの渡った福田を相手に三井がファウルする。
三井が福田のマークについてから福田の得点が止まっている。
だが池上が三井についてから三井の得点が止まったのも確かで。

胸がざわつく。
嫌な予感がする。
心臓の鼓動が静かに深く騒いでいる。
は眉間に皺を寄せながら、頬の傷をなぞった。


   
三井は格好良いって言われたら照れるかな。肯定するかな。どっちだろう。どっちでも 萌 え る 。