「すごいな流川の奴、仙道と比べても遜色ないぞ!」
「大舞台ほど強いのがあの子なんすよ木暮先輩!」
「本当楓ってこういう時は恰好いいんだよね…!」
後半の楓の活躍は惚れ惚れするほどで、今や湘北の得点源になっている。
「…先輩、今の三井先輩の前では言わない方がいいですよ」
「え、なんで?」
彩子ちゃんが私に助言をしてくれたらしいが私にはさっぱり意味が判らない。なんでだ。
そうこう言ってるうちに笛が鳴って三井さんのファウルを告げる。
「よ――しよし!それでいいんだ福田!」
陵南ベンチから監督の声が聞こえて私はなんとなく監督の狙いと福田君の役割が判った。
多分、三井さんをベンチへ引っ込ませたいんだろう。
ファウルトラブルにしても、体力の面でもベンチに下げざるをえない状況を狙ってるんだと、思う。
それはベンチの人間の選手層が薄いと考えているからに違いない。
安く見られたものだ。
三井さんも、うちの選手も。
……………あれ?
さっきの笛で、…あれ。
「三井さんって、今のでファウル3つめじゃなかったっけ?」
「え、前半1つだったろう!?」
「…3つですね」
「「「…………」」」
三井さんファウル3つめー!!
三井ー!ファウルに気をつけろー!!
三井先輩、落ち着いてプレイしてくださいねー!
三井さんがここで抜けることになるとか本当有り得ないってこれ。

11:悔恨のハギング 2


「魚住さんが4つめのファウル?」
魚住の4つめのファウルは会場を震撼させた。
守備と攻撃、両方の要であった魚住が抜けるとなれば陵南のバランスは一気に崩れ、今勢いにのっている湘北にとっては幸運以外の何物でもなく。
彩子と、木暮は絶句して目を見開き顔を合わせた。思わず、文字通り開いた口が塞がらない。
桜木の攻めの姿勢が魚住の警報を鳴らしファウルを誘った。
流れは完全に湘北にある。
それなのに、は不安で仕方がない。
ひやりと一滴の汗がのこめかみを滑り落ちた。
「外出せっ!!」
ライン外にいる三井が素早く桜木に声を掛けてスリーポイントをとる。三井のフォームはまだ綺麗なまま崩れていないが、時折苦しそうに表情を歪めていた。
呼吸のテンポがおかしい。
は一つの仮説を立ててみる。
三井のスタミナは切れかかっているのではないだろうか。しかしこの勢いにのっている所為でそれに気付かず飛ばし過ぎているのではないだろうか。
たった今三井のおかげで逆転したというのに胸騒ぎが収まらない。
勢いはついているのに、何故こんなにも不安なんだ!
「またとった!」
「すごいな、桜木君のリバウンド力は…」
元々身体能力の優れていた桜木にはリバウンダーとしての才能があったのだろう。
集中し始めると桜木は並外れた能力を発揮する。
サイドの宮城へパスを出すと即流川の手へ渡り、いくつかのフェイクを入れてゴールへ投げられ、仙道はこの距離と角度なら入らないと思ったのだが。
ドゴッとゴールが壊れそうな程の音を立てて決まったのは、赤木のアリウープだった。
「うわあああアリウープ!?」
飛び跳ねて喜ぶ湘北ベンチの中、は一人真剣に眉を寄せて呟く。
「違う……」
「…?」
ゴリウープ…!
一瞬静まりかえった。
「ゴリウープゥゥゥ!!」
「キャプテンナイスゴリウープ!」
「ゴリウープばんざーい!」
「えっ、ちょ、止めて私が怒られる、あれ彩子ちゃん何書き込んでるの!?」
試合が終わった後でが赤木の怒声を浴びたことは言うまでもない。
「ディフェンス1本!」
「おお!!」
「とるぞオ!!」
勝てる。きっと勝てる。あの5人が一つにまとまったのだから。
アリウープは仲間との信頼関係が相当作られないと難しい技なのだから。
全国に行ける、という希望が湧いたところなのに。
の不安は拭えなかった。

仙道をブロックした赤木の雄叫びと会場中の歓声を浴びながら木暮と彩子とは手を叩き合う。
リードした点差であと8分の試合の中仙道をブロックした意味は大きい。
だが、は今まで感じていた胸騒ぎと嫌な予感の理由を、すぐに知ることとなる。
続けて得点を入れていくうちに気づいてしまう湘北の穴。
陵南の魚住投入には密かに舌打ちした。
せめてあと2分、いや1分遅ければ、おそらく負担の大きかった仙道が崩れてくれただろうに。
残り6分を切ったところで宮城がシュートを決め2点が追加された。
「ナイス!」
はガッツポーズをしてなるべく冷静に状況を判断しようと思った。
宮城の決めた61点めは仙道をかわして決め、さらに魚住投入後すぐの失点であることは陵南に大きなダメージを与えたに違いない。
大丈夫。まだ流れは湘北にある。
だから。
不安を顔に出すな。
「…?」
いつもとどこか違う雰囲気のに木暮が声をかけたが、木暮は吃驚して一瞬言葉が続かなかった。
「おい、大丈夫かお前!?」
「…え、」
「顔、真っ青じゃないか!?」
そう言われて、は素早くタオルを顔へ押し付け顔面を覆う。
「ごめん、大丈夫」
息を吐く。深く吸って、また深く吐く。
顔を上げたには普段通りのポーカーフェイスが浮かんでいた。
気のせいであって欲しい。
こんな不安は。
勝っている試合で何がこんなに不安なのか。
チームメイトは心から信じているというのに、この妙なざわめきはなんなんだ。
1ゴールを決められたが残り5分半で13点差だ。
(甘いぜ陵南!魚住が戻ったからってそれがどうした!!)
三井のフォームはまだ崩れていないというのに、は三井の呼吸の速さが気になって仕方がない。
なのに。

「ウチのセンターは赤木だぜ!!」

本当なら今すぐ止めて身体チェックをしたいところなのに―――なんて少年の様な表情でプレイするんだ!
は熱を持った目で顔を上げていたくなく、ああまずいなと思ったところで俯いた。
流れが変わろうとしている。
嫌な予感はこれだろうか。

続く仙道のシュートに対抗して流川も差を広げるが、流川のプレイが逆に湘北攻略のヒントを仙道に与えてしまった。
「リョータ無理しないで!仙道はファウル誘ってんのよっ!4つめをっ!!」
彩子の叫びも虚しく宮城の4つめのファウルを告げる笛の音が体育館へ響く。
「4つめファウル気をつけて!特に楓以外!!」
悩んでいても変わらない。
とにかく今は自分に出来ることをしようとは声を張り上げた。
ハラハラソワソワとする木暮が安田へアップの指示を出す。
「待って、準備するなら木暮君やって!」
選手層が薄いなんて言わせない。木暮だって、3年間バスケを続けてきた男なのだ。
が木暮へ準備の指示をだしたのは陵南だけでなく他の学校にもそれを知らしめるためである。
「ファウル気をつけてっ!!ガンバレ!」
「残り3分半っ!!」
仙道の動きの勢いが増した。明らかに仙道が点をとりにきている。
怖い。
観客まで逆転を期待しはじめていて。
「チャージドタイムアウト湘北!」
このタイムアウトは仙道対策をたてるというよりも陵南のテンポを狂わすことにあった。
安西の不在がここにきて大きな壁となる。
三井に体調のことも聞きたかったが今変に意識されても困って。
「具体的な策は何もなかった…」
「休めただけでも価値はあるよ彩子ちゃん」
「き…気合いだっ!ここまできたらもうあとは気持ちだけだっ!負けるな――!!」
木暮の声援がすぐ横で聞こえる。

はずなのに。

音が遠い。
自分の立っている感覚がない。
判ることは。
目の前をゆく三井へ伸ばした手が虚しく宙を掴んだことだけ。


倒れる様が、無音の中にスローモーションで見えた。


宮城が4ファウルで強引に動けないことを三井は正しく理解していて。
「宮城もちすぎるなっ!パスで回せ!」
赤木の声が聞こえる。
(俺がいかなきゃ…)
そう思うのに。
頭がクラクラする。
足がふらつく。
息が上手く吸えない。
(安西先生のいない時こそ、俺がやらなきゃ…俺が…)
流れる汗が気持ち悪い。
三井は目の焦点が合わず、もはや殆ど立っている感覚もなかった。
(俺が…)
負けられない試合というプレッシャー。先生が側にいない不安。
それらが三井にのしかかり圧迫していないと言えば嘘になる。
だが今の三井の頭を半分以上占めるのは三井寿の元MVPのプライドと恩師への義理だ。
ボールを追いたいのに、目も、足も追いつかない。
「ヘルプだぁ三井!!」
画面の中の出来事のように誰かが何を言っているのも現実味がなく、また誰が何を言っているのかも判らない。
重力に引っ張られる体が重くて、三井はぼうっと顔を上げ目を細めたまま動かせなかった。
「…っ三井さん!!」
が自分を呼ぶ声が聞こえる。





暗転。





「ミッチー!」
「………」
「三井サン!」
「三井!」
気がつくと三井は床と対面していて、それに一番驚いたのは三井自身だった。
どうやら自分が倒れたらしいことは周りの反応からして判る。
部員に運ばれてとりあえず体育館の外の階段に腰掛けたとき、漸く頭がはっきりしてきた。
朧気な記憶を辿って駆け寄ってきた時のの必死な表情を思い出すと自己嫌悪に陥り、ポカリスエットを喉へ流しながら瞼を閉じた。
倒れた時に切ったらしい唇を指で触れるとの手当てした絆創膏の感触がある。
缶を傾けるのにもう水滴の落ちない様はもう中身が空であることを告げていて三井は溜め息を吐いた。
「もうないのか…?」
「あ…か…買ってきます!」
自販機へ走って行く後輩の後ろ姿を見ながら三井は空き缶となったそれを床へ置いた。
全身の小刻みな震えが止まらず空気さえも震えて感じる。
視点は定まってきたあたり水分不足による脳貧血のようなものだったのだろう。
掌を見つめてグッと握るがまったくと言っていいほど力が入らず弱々しく振動するだけだ。
2年のブランクはそうそう埋まるものではなく、三井に中学の時以上の体力があるはずもない。
今のバスケットでさえ中学時代に培った財産でやっているようなものなのだから。
悔しいだとか。
情けないだとか。
思うことは山ほどあるが目の前に買ってきたばかりのポカリスエットを持って立つ後輩へ八つ当たりするほど三井も子供ではない。
「もう行っていいぜ、タイムアウト終わるころだろ。俺もすぐ行くからよ」
「はい…絶対勝ちましょうね、先輩!」
走り去る背を見送り渡されたポカリのプルタブへ指をかける。
だがろくに力の入らない指ではカツンカツンと音を立てるのが精一杯でとてもツメは持ち上がりそうにはなかった。
再度力を入れるが、変に入った力の作用と缶のかいた汗で缶は三井の手から滑り落ち床の上を転がる。
舌打ちをするともう一つの缶へ今度は親指をプルタブにかけ、体重をのせるように力を込めた、けれど。
ツメが立つ前に三井の手と缶を包む白い手がそれを制した。
柔らかな両手が手から缶を剥がし、いとも簡単にプルタブを開けてしまい起き上がったツメを飲みやすいようもう一度倒すと三井の手へしっかりと缶を握らせる。
結局開けられもしなかったというのに、指先へ力を込めただけで息の上がった三井を嘲うこともなく、三井の真正面へ立っているは無言で。
「くそ……」
俯く三井は顔を上げられずに呟く。

途端、柔らかな感触が顔面いっぱいに広がった。

顔を包むそれがの胸だと気付くのに数秒を要する。
「お、い……」
嬉しい状況ではあるが今はそんなことを言っている場合ではない。
ここは公共施設の廊下で、今は試合中なのだから。
「なんで…」
かすれたアルトの声が小さく聞こえる。
三井からの表情は見えない。
から、三井の表情も見えない。
三井の後頭部を抱える腕に力が込められ三井の顔はますます胸に押し付けられた。
窒息しそうなほどの抱擁に三井は何も言えなくなる。
「なんで自分一人で背負おうとするの」
の声色には、責める、というより懇願するような響きがある。
「誰も三井さんに安西先生の代わりなんて求めてない」
髪を掻き乱されながら、三井は引力に引きずられる重い腕を持ち上げてみた。何とか上がる。
視界に豊満な胸がいっぱいに広がる所為で本当に傍にいるのがなのか不安になって。
「先生の穴は、皆で埋めればいいのに」
持たされたポカリを階段に置いて、の左頬へ手を伸ばした。
探るように頬を撫でると筋の様な感触に指がぶつかる。
「もっと周りを信頼してよ…!」
三井の付けた傷はそのまま今も残っていて、今自分を抱き締めているのも間違いなくであるという証拠に三井は安堵する。
「…チーム、なんだから」
震えるの消えそうな声に、三井は柵が決壊したように目頭が熱くなった。
「くそ……」
から三井の顔は絶対に見えない。
その安心があるからか、三井の目から一筋水滴が溢れた。
悔しい。
情けない。
2年の無駄な時間が惜しい。
肝心の試合で役に立てない自分に何の価値があるのだろうかと考えると沸々と煮える自分への怒りを抑えるように三井はの腰へ手を回した。
力を入れれば折れるのではないかと不安にさせる細い腰は三井を拒絶することなく好きにさせる。
今だけは。
どんなに情けない姿でも。
抱き締められるのが気持ち良かった。


*     *     *


「もう行っていいぜ、タイムアウト終わるころだろ。俺もすぐ行くからよ」
サンキュ、と礼を言いながらポカリ2本を受け取る三井を隠れて見ていたは、壁に背を預けながら溜め息を吐いた。
缶を開けようとする三井の姿に思わず体が動き三井の前に立って半ば缶を奪う様に開けて手渡す。
体が小刻みに震えている。
プルタブを起こすだけで息を上げる。
三井が顔を上げないのは情けない顔を見られたくないからかもしれないとか、いろいろ考えたけれど。

衝動。

気付けばは三井を頭を抱き寄せていた。

後頭部へ手を回すと自らの身体に三井の顔を押し付ける様に力を込める。
「なんで…、なんで自分一人で背負おうとするの」
責めてはいない。責めることなんて出来ない。
三井がいつだって湘北のために頑張っていたことを痛いぐらい判っているから。
だからこれは、殆ど懇願に近い。
「誰も三井さんに安西先生の代わりなんて求めてない」
三井の髪から汗のにおいがした。
「先生の穴は、皆で埋めればいいのに」
何もかも一人で背負おうとする三井に少しだけ腹がたつ。
「もっと周りを信頼してよ…!」
左頬を三井が擽っているのか、弱々しいが指の感触が感じられた。
「くそ……」
三井の呟きは、体育館から聞こえる歓声に消えてしまいそうなほど小さくて。
―――泣いている。
から三井の表情は見えない。
三井から、の表情も見えない。
それでも三井が泣いているのが判る。
腰に回された三井の腕も普段の力強さが嘘の様に、振り払えば簡単に解けてしまえそうなほどで。
三井からの表情は見えないという安心か、三井の涙がうつったのか。
眉を潜めて声を殺して、涙だけ流して三井に気付かれないようには泣いた。


三井が好きだ。
痛いぐらい、苦しいぐらいにこの男が好きだ。

だからどうか、もう少しだけ。

この人の傍にいさせてください。


   
BGMは全力でGernet Moon(@島谷ひとみ)です。