三井さんに叩かれた頬に手を伸ばしてみる。
痛いし。血出てるし。なんて事だ!
しかも「桜木が強すぎる」とかなんとか言ってその他大勢の不良役エキストラが体育館のドアへ走ってしまった。冗談じゃねぇ。
「あっバカ開けんな!!外は…」
「逃げろっ!!」
ガラっと開いてしまったドアへ滝のような冷や汗が伝った気がしたけれども、ドアの外で待っていたのは赤木さんの巨体だった。
その体が壁になって先生達からは中の様子が見ることが出来なかった。
私はグッジョブ!と心の中で親指を立てる。
見回した体育館の様子から赤木さんは状況を悟ったらしい。
体育館へ入ってすぐにドアを閉めてしまった。外からは先生数人が開けろ開けろとドアを叩く。
「ひ…秘密の特訓中ですので」
「何ぃ!?」
正直苦しい言い訳だ。
「コラァ、オレたちは湘北の教師だぞォ秘密にすることないだろーが!!開けんか赤木!!」
「……暑さ対策のため閉めきって練習してます。私の指示です」
非常に苦しい言い訳だ。
赤木さんはずんずんとこっちへ寄ってきたが、途中桜木君に何か耳打ちされたらしい堀田君が慌てて赤木さんへ「撤収する」と言ってきた。
そんな堀田君プラス不良役エキストラへ靴を脱ぐように言う。
「三井…」
赤木さんは、三井さんの名前を呼んだかと思うと三井さんの頬を連続で平手打ちする。
バチンバチンと頬が規則的に鳴った。
「三井は…バスケ部なんだ」
02:籠球のクライング 3
「小暮…ベラベラベラベラ喋りやがって……!!」
「でも本当のことだろ。三井」
堀田が三井に、バスケ部に戻りたいんじゃないかと言った途端、三井は感情を露にし出した。
それはきっと、堀田の言ったことが三井も認めたくない本心だったからだろう。
「三井さん…」
右頬を鮮血に染めたがおずおずと三井の前に立ち少し上目使いで見上げる。
「あ…足はもう治ったんでしょ?だったら…だったらまた一緒にバスケやろうよ…!!」
一歩。
一歩。
それ以上が近付く前に、三井はを思い切り突き飛ばした。
これ以上三井の中に侵入って来ないように。
これ以上三井の心を掻き乱さないように。
到底の支えきれない力で押された所為で、は尻餅をついて座り込んだ。
「バッカじゃねーの!?何が一緒にだバァカ!!
バスケなんてもう俺にとっちゃ思い出でしかねーよ!!ここに来たのだって宮城と桜木をブッ潰しに来ただけだ!!
いつまでも昔のことをゴチャゴチャゆーな!!」
呆然と三井を見つめるに三井は怒声をぶつけた。
ほぼなりふり構わない状態の三井の言葉がには、本心を隠すための、もしくは自分を納得させるための虚飾にしか思えない。
本心ではない、とが信じたかった所為かもしれないが。
「バスケなんて単なるクラブ活動じゃねーか!!つまんなくなったからやめたんだ!!それが悪いか!!」
バッキィィ!!
体育館へ乾いた音が響いた。
目にも止まらぬ勢いで放たれたの右手が三井の左頬を叩く。
とそれなりに付き合いの長い面子は彼女の行動に唖然となった。
流川でさえも目をぱちくりとさせてに見入っている。
が、殴った。
あのが。
が人を殴ることはまずない。どこそこから湧いて出てくる変質者を蹴り倒すことは多々あれど。
「アンタがバッカじゃねぇのだよ、このポークビッツ!!」
今度は別の意味で周囲は唖然となる。
今彼女は何と言った。
全員の聞き間違いでなければ、美少女レベルの女生徒の口から最低レベルの悪態が発せられなかっただろうか。
「バスケがつまんない?ふざけるのも大概にしなさいよ!!飽きたからやめたんじゃなくて、プレイする勇気がなかったから逃げただけでしょ!?何バスケの所為にしてんの恰好わっるい!!
中学MVPとか言われて周りからちやほやされていい気になって?たかだか2回の怪我で挫折ですか!MVPが聞いて呆れる、その名前は伊達か畜生!!」
感情のまま思ったことすべてをは口走る。鼻がツンと熱くなった。
震える拳を振り上げ、ドンドンと三井の胸を叩く。
遣りきれない感情を抱えていたのは三井だけではないのだ。
小さくおえつを漏らしてうつむいていたが静かに顔を上げて三井を見つめる。
透明な涙が溢れ、血と混じり、頬を伝う。
パタパタと床へ滴が落ちて染み込んでいった。
「…守る気ない約束なんてしないで……」
ザワリ。
三井の心が妙にざわつく。
「何が全国制覇だ……何が日本一だ!!何が湘北を強くしてやるだ!!」
小暮の言葉に、三井の脳裏へ決意の頃の記憶がよぎる。
「お前は根性なしだ……三井……ただの根性なしじゃねーか……根性なしのくせに何が全国制覇だ…
まで泣かせて…!夢見させるようなことを言うな!!」
小暮は初めて会ったときからの涙を見たことがなかった。
それだけに三井を許せない気持ちも膨らんでゆく。
「小暮……!!昔のことだ!!もう関係ねえ!!」
「三井サン」
「……宮城…」
「一番過去にこだわってんのはアンタだろ…」
シン、と体育館が静まりそこへゴンゴンと規則正しいリズムで扉が叩かれた。
「私だ…開けて下さい」
聞き覚えのある声。
その声に、三井はドキッと心臓を跳ねさせた。
開かれた扉。目に映る、忘れもしない恩師の姿。
「おや」
初めて救われた時からのバスケの記憶が三井の中へ溢れだす。
安西先生。
安西先生。
安西先生!
「安西先生…」
目頭が熱くなりみるみるうちに三井の目へ涙が浮かぶ。
それはバスケへの思いと共に流れ出て。
「安西先生…!!バスケがしたいです……」
シューターはその場へ泣き崩れた。
その後は一時騒然となった。あわや活動停止処分かと思われたが、水戸の機転により桜木軍団他三井を除く数名が罪を被ることでバスケ部は事なきを得る。
その日は皆疲れきっていたので、あくまで練習をしようとする赤木をが制し部活を解散させた。
精神的なダメージは思いの他体力を奪う。しっかりと休養をとり、実りの大き練習を。
幸い翌日は休日だったので片付けも明日一番に回し、とにかく部員を帰らせた。
勿論、桜木・流川・宮城の3人は彩子付き添いの下病院へ行かせたが。
教師との話が終わった後、三井は体育館へ向かった。
掃除はしていないと聞いたので片付けようと思ったのだ。自分の後始末くらい自分でつけたい。
今度は靴を脱いで体育館のドアを開ける。
体育館の中央へ横たわるに、三井は目を奪われた。
冷たい床へぴったりと頬をつけて、瞳を動かすことなく三井へ視線を突き刺す。
三井が傷をつけた右頬には絆創膏が痛々しく貼られていた。
「何してんの?」
寝そべったまま言葉を紡ぐに、三井は小さく肩をビクリと揺らす。
横たわるの姿がどこか作り物めいて思えた三井は、さながら人形の様に見えたものが喋りだすことが不自然に感じられたのかもしれない。
「お、お前こそ何してんだよ」
動揺を隠すように三井は大股でへ近づき傍へ腰を下ろした。
辺りを見回すと汚したはずの体育館はすっかり綺麗になっていて恥ずかしさを覚える。
「体育館ってこんな広いんだな、と思って」
「………」
「バスケ部戻ってくるの?」
「………おう」
「へぇ」
「………」
「………」
「………なんか言えよ」
「…三井さんさぁ」
きょろり。と顔を三井の方へ向け、寝そべったままは問うた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「『差し歯。をプロデュース』!」
「差し歯言うな!!」
に連れられて学校を出た三井は、が銀行から金を下ろした後すぐ歯医者へ連れて行かれた。
折れた前歯2本に歯を入れたいらしい。
思いの外金額は高くついてしまったがそこは後日自分に請求するつもりらしいなのでの財布には何の影響もない。
今日は型を取るだけで終わったが腕は割と良い医者のようで3日後には歯をいれると言われた。
そしてはまだこれからどこか行くらしい。
言われるままについてきた三井が次に連れて行かれたのは、美容院とも床屋とも言わず『カット屋』と呼ばれるのが相応しく思える散髪屋だった。
モノトーンで落ち着いた外観が、なるほどの好みらしい。
「あっれ、久しぶりちゃん」
「こんにちは」
両耳にピアスをたっぷり拵えた短い茶髪の男が片手を上げて慣れた様子でへ話しかける。その顔まさに男前。
カウンターへ回った男へ二人分の鞄を預けたは三井をよそへ男と他愛もない会話を交わす。
「やー、髪伸びたねぇちゃん。どしたの頬っぺた?」
「あっは、ちょっと色々と。今日はこっちの人の髪お願いしたいんですけどー」
「は!?俺!?」
ぐっと親指で背後の三井を指差したは本人そっちのけで男へ注文をつけていた。
「シャンプーとカットで…あ、ついでに私も切ろーかなぁ…」
「今手ぇ空いてんの俺と麻美さんくらいだけどそれでOK?」
「じゃ公平さん、こっちの人お願いします」
「ん。じゃー君こっちお願いー」
何が何やら判らぬうちに、三井は公平と呼ばれた男に連れられて鏡の前へ座っていた。
シャキシャキと軽快なリズムでハサミの音が鳴る。
一つ飛んで隣の席から、女二人が楽しそうに喋っているのが聞こえた。内容までは判らないが、声からしてと、麻美とかいう美容師だろう。
「殴り合いの喧嘩でもしたのか?その怪我」
背後から公平にバリトンボイスで話しかけられる。
「いーねぇ高校生は元気で。セイシュンだねぇ」
「おっさんかアンタは…」
「ちょ、俺まだ25だって!」
どんどん軽くなっていく頭に不安を覚えながら、三井は話しかけられただけ返事をした。
少しうとうとしてきた三井に衝撃的な発言を向けられるのはそのときである。
「ちゃんと付き合ってんの?」
トンカチで頭を殴られたのかと思った。
「なんでそーなンだ!?」
「えー、仲良いみたいだからそーなのかなーって。何違うの?」
「ちげぇよ!!」
仲が良いも何も、ほとんど2年ぶりに今日話したくらいなのだ。
鏡に映る公平の楽しそうな笑みに三井は苛々とする。
「イイ女でしょ。あの子」
「そりゃー顔はちっとはいいけどよー…」
「いや、顔も良いけどね。そーじゃなくて、全体的に」
「胸の話か?」
「体もイイけどね。じゃなくて中身がね、格好良いでしょ彼女」
「………」
「本当に気ないの?」
「ねぇよ!!」
「顔赤いよ三井君」
「眼科行った方がいんじゃねーのアンタ」
「はいシャンプー台まで移動してねー」
大分短くなった髪を洗われ最後に整えられると、鏡に映る自分の姿(正確には頭)に三井は呆然とした。
短い。ここまで短くするものか。過去最短だ。
「はいお疲れ様ー」
少しどころかとても不安になりながら、三井は待合室まで足を運んだ。
麻美の仕事はとにかく速い。
だから男より女のほうがシャンプーに時間がかかるからといっても、は三井より先にすべて終わってしまった。
椅子に座って三井の完成品を待つまで側にあったファッション雑誌のページをめくる。
44ページに差し掛かった辺りで足音が聞こえ始めて、それがピタリとやむと「おい」と低い声が降ってきた。
ふっとは顔を上げると、そのまま目を零れそうなほど大きく開いて固まってしまう。
「…どーだよ?」
「…うん」
「ちょっと短すぎねーかコレ?似合わねーだろ??」
「…そんなことない、と思うよ」
髪が短くなり前髪が立ち上がった所為で、三井の顔が前面へ出される。元々、三井の顔は綺麗に整っているのだ。
キャラメル色の短髪は三井の顔立ちによく似合う。
心臓が煩い。
「…格好良いよ。似合ってる」
声が震えたような気がした。
「お前も結構バッサリ切ったなー」
の髪も、前は腰過ぎるくらいまで長かったのだが、今は肩より少し長いくらいまで短くなっている。
三井には勿体無く思えたが、セミロングも彼女に十分似合っていた。
シャンプーしたてのサラサラとした黒髪が僅かな空気の振動でもふわふわ揺れる。
はまだ暴れる心臓を押さえるようにして会計を済まし、店を後にした。
「じゃ、明日から部活あるからちゃんと来てね」
「判ったよ」
「…また明日」
「…じゃな」
2年遅れたが、ここから二人の物語は始まる。
「よーしディフェンス!!赤木にはやられないぞ!!」
「はい!!」
「む、甘いわ!!」
赤木へ見事にダンクを決められてしまった小暮は「1本止めるまでずっとディフェンスだからな」と赤木に告げられる。
再びコートで向かい合ったのは、
「行くぜ」
意地もプライドも捨ててバスケ部へ戻ってきた三井だった。
「くそ…またてごわい奴らだ!!」
2年のブランクを埋めるのは容易ではない。部員と打ち解けるのも時間がかかるだろう。しかし、は三井がいつか湘北に必要になる男になると確信していた。
綺麗なシュートフォームには口元を緩ませて破顔する。パスッとゴールのど真ん中を打ち抜くボール。
「ディフェンスあめーよ小暮」
小暮がディフェンスを止められるのはいつになるかな、とは一人苦笑した。
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こっから夢らしくなっていくといいな。
しかしがことごとく小暮君の出番を奪ってゆく…。